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豊岡製鞄特集

豊岡製鞄特集

豊岡の鞄とその歴史日本一の鞄の産地として

日本四大鞄産地の一つ、兵庫県豊岡市。その歴史は古く、千年の伝統を持つと言われています。江戸時代の柳行李(やなぎごおり)の隆盛に始まり、明治以降は旅行鞄やビジネスバッグなどを作り続けてきました。「鞄の街豊岡」は、数社の大手メーカーと数多くの職人によって成り立っており、「石を蹴れば鞄屋に当たる」と言われるほど、豊岡という街、そしてそこに住む人々の生活に、鞄は密着しています。

現在に至っても、鞄の年間出荷総額が102億円で日本1位(※総務省調べ)。また次世代の職人を育てる専門校「アルチザン」を開設したりと、一大産地の技術と誇りを未来に継承しています。
神話の時代に遡るのですが、新羅王子とされる天日槍命(アメノヒボコ)によって、柳(やなぎ)細工の技術が伝えられたとの伝承が、712年の「古事記」にあります。

豊岡の鞄のルーツは、その柳細工で作られたカゴだと言われています。奈良時代に豊岡でつくられた「柳筥(やなぎかご)」は正倉院に上納されています。1473年の、「応仁記」には、豊岡市の九日市(ココノカイチ)に「九日市場」が開かれ、商品として盛んに売買されていた記述があります。
おそらくこの時期から、地場産業として家内手工業的な杞柳産業が発展したことが予想されます。江戸時代には、豊岡藩の独占取扱品として、柳こうりの生産が盛んになりました。

1668年、京極高盛が豊岡に移封され、柳の栽培並びに製造販売に力を注ぎ、土地の産業として奨励したのが始まりです。豊岡から大阪を経由して全国にその販路が出来上がり、幕末には、流通・販売機構も整い、全国的名声を築きました。

1881年第2回内国勧業博覧会に2尺3寸(約70cm)入子、3本革バンド締めの「行李鞄」を創作出品しています。
この3本革バンド締めの柳行李は、外観はトランクと同じでしたが、トランクと呼ばれずに柳行李と呼ばれていました。このことはこれが従来の杞柳製品の改良品であり、また柳行李で名高い豊岡で作られたことがトランクや鞄と呼ばれず行李と呼ばれた原因と言われています。

1936年に開催されたベルリンオリンピックの選手団の鞄として、豊岡のファイバー鞄が採用されるなど、この頃には、「ファイバー鞄」が、豊岡の鞄の主流を占めるようになりました。
しかし、昭和12年に日中戦争、昭和16年に太平洋戦争と戦火が拡大するにつれて材料の確保が困難になり、材料の購入・販売など統制しなくてはならなくなってしまったのです。

小田井縣神社の柳の宮。世界でも唯一の鞄を祀っている神社。

昭和28年、従来のスーツケースの胴枠を改造し、外型崩れ防止にピアノ線を使用した鞄が生まれました。
軽くて強靭であることなど、これまでの欠陥を補っていたので他商品を圧倒し「岩戸景気」(1958~1961年)を背景に、豊岡市に300を越える鞄関連企業が生まれ、全国生産の80%のシェアを占めるまでに発展しました。
是非豊岡製鞄に触れてみてください。

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